京大博士課程日記 第1章 はかせいちねんせいはげんきです

ごきげんよう諸君.私である.

私が博士後期課程1年という有り難い称号を賜ってから早一ヶ月が経過した中,皆さんいかがお過ごしだろうか.

時に,春という季節は全く持って災厄しかもたらさないものである.災厄というのは,主に花粉と観光客のことである.大学生になってより登山に明け暮れた結果,私の免疫系は完膚なきまでに破壊されたようで,ここ数年ではひどい花粉症に悩まされている.薬を飲めば眠くなり,鼻炎になる覚悟を決めながら点鼻薬をだましだまし使用し続ける日々にはうんざりだ.加えて,京都の地には沢山の観光客が桜や日本文化やその他色々を見に訪れ,我が家の周辺や交通機関は完全にジャックされてしまった.京都府民が排他的な理由が身にしみて理解できる.若かりし頃はあんなにも心躍った春でさえ,研究の波に飲まれ狭くてほこりっぽい研究室で一人コーン茶を作り続ける生活を送るうちに自身の停滞の象徴となってしまったようで胸が痛い.誰もが今では社会人である.

肝心の研究活動は芳しくない.ジャーナルはなく,国際学会もなく,半ば義務的に参加する微妙な国内学会でうだつの上がらない成果をかき集めることに勤しんでいる.私は私の卒業する姿が見えない.ニートになる姿も見えない.東京で社会進出を決めた友人たちと居酒屋に行ったときには,いたたまれない感じで奢らせてしまった.昨年は意気揚々と奢ってもらうんだ,などと考えていたが,現実になると格差を突きつけられるようで辛いものである.私はもはやこんな厄介な存在になってしまったのかと涙が出ると同時に,東京に住む友人たちを30人集めて月に一回転々とすれば一生を生きていけるのではないかとも考えた.友達いつでも募集しています.

前回のブログを書いてから遥かな時が経っているので何から書けばいいのだろうか.国際学会二連続で落とされた話は書いたんだっけ.某財団の奨学金に落とされた話と.チップが動かなかったのもあるな.あと,なんだろう.ろくなことがなさすぎて笑いを取るのも難しくなってきている.

先生の機嫌はジェットコースターである.もはや予測ができない.カオスに分類される現象である.隣の棟にいるカオス研究室のドクターはぜひ教えていただきたい.特に今年度からは博士課程に厳しく指導すると心に決めたご様子で,研究会とミーティングで後輩と同期が詰められているようだ.そんな話を聞いて私はここ一ヶ月先生から逃げ惑う日々を送っていた.自分の居室を鍵付きの狭い部屋に移し,リモート環境を整え研究室に行く頻度を減らし,飲み会では先生が酔っ払うまではなるべく遠くにいるようにした.するとどうだろう,先生が優しくなった!僕にだけ!これはとても恐ろしいことだ.隣で同期を責め立てながら僕に猫なで声で話しかけてくる先生はもはや人間ではない.私は恐怖に怯えるあまり怪物を生み出してしまったのである.こんなこと書いてるの先生に見られたら拷問の末に殺されるかもしれない.今のうちにボイスレコーダだけでも用意しておこうと思う.もしものことがあったら使ってほしい.でも僕のPCとハードディスクには絶対に触るなとだけ言明しておく.

ここまでだとただのうつ病一歩手前患者予備軍でしかないが,一応良いこともあった.まず,隣の研究室にちょうど分野の先生が入ってきたので頭を垂れて教えを請うことが可能となった.以上である.やったね!たのちい!

 

今後の数年間を同期の社会人マウントに専門用語と徒手空拳で立ち向かわねばならないとなると憂鬱だ.みんなも無自覚な社会人マウントには気をつけよう.社会人忙しいアピールとか給料がどうたらとかは,結局のところ学部生の寝てないアピールとかセンター試験の成績競争とかと大差ないのではないだろうか.人間は繰り返す生き物である.なお,一番イラッとするのは「え!まだ学生なの?」である.社会人が学生より楽だとは思わないが学生が社会人より楽だとも思うことなかれ.

 

以上,しばらくは痛みに耐える日々であるが,これも登山だと思えばそんなもんな気がしてくる.ハネメンタル!

 

追伸

これは他人が読んで楽しいのか......?

 

京大博士課程日記 第0章 学振落ちた

学振に落ちた.これが,私の博士後期課程への第一歩である.

日本学術振興会特別研究員DC1制度は,博士課程へ進学し日本の研究社会に貢献せんと意気揚々と繰り出す若者たちを支えるために設立された金銭援助制度である.

採択率30%以下,月額20万円(課税),給与所得と言っておきながら年金などは各自,研究専念義務により指定のアルバイト以外厳禁という博士課程へ向かう学生たちが研究に集中できるように心ばかりの配慮がされた素晴らしい制度であり,就職して十全な給与体系のもとで過ごす他の同期たちとの格差を思い知らしめ研究者としての謙虚さまでも啓蒙しようとしているともっぱらの評判である.

博士後期課程.学部や分野によって千変万化にその様相が大きく変わるとされるが,私の所属する電気電子工学分野においてその立場を象徴する言葉は「無益」の一言であろう.アカデミアに所属するならまだしも,一般就職において現状博士号を持つ理由は殆ど皆無であり,修士号さえあれば大抵の大企業に入社するための下地としては十二分であるからである.おまけにアカデミアに残るという高い志を持って進む場合,その先に待つのは激務かつ不安定という立場にありながら某キーエンスのような高給取りというわけでもなく,そもそも順当にキャリアを歩めるかすらわからないという,なんとまあやりがいあふれる労働環境である.そんなろくでもない環境にいる助教は文字通り寝る間も惜しんで研究・予算申請・そのた様々な雑務に忙殺され新任の頃の輝きあふれる瞳はもはや見る影もなく泥濘が如く淀み切り,さらに私の担当教員たる准教授は常日頃から転職に思いを馳せ(なんなら面接まで受けていた)飲み会とマッチングアプリが生きがいなどという親に紹介すれば不安を掻き立てること間違いなしという惨状である.その姿をみながら研究生活を送った結果,アカデミアに進もうなどと言う気はかけらも育まれることなく今に至った.ありがとう,Dr. マッチングアプリ

上記のような背景知識が前提であるため,周囲の面々へ博士後期課程へ進む,と宣言した暁には珍獣を見るような目と配慮あふれる苦笑を多々浴びせられた.うむ,君たちは賢明で正しいとも.かかってこいやあんぽんどもが.

一般人からの評価も散々である.今年の夏まで続けていた受付事務のバイトで,常勤のおばさんに「まだ大学残るなんて,他の人は就職して頑張ってるのにだめじゃない(意訳)」と流暢な京都弁で言われたことを今でも思い出す.その日はいつもより心なしかキーボードを強く叩いた.博士課程が遊びだなんて言うやつは無知蒙昧であることこの上ない.ことこの大学・分野に関しては,就職と博士号取得どちらが楽かといえば間違いなく就職であると私は断言しよう.

さて,ここまで電電博士課程をボロカスに言っておいてなんで進学するのかという話だろう.理由は以下の3つに集約される.

1,博士号取得に足りそうな研究の目算が立ったから

  計画性のない進学は地獄への入り口に繋がっている.

2,学内奨学金とリサーチ・アシスタントの給与で生きれそうだったから

  借金してまで博士課程という過酷に飛び込んだら卒業時には胃の風通しが良くなっていることだろう.周りが就職しそれなりの給与をもらっていくなか数年間学部時代と何もかわらない生活を送らねばならないことに目をつぶれば,自立できるだけ満足.

3,博士号取得後のキャリアパスが見えていたから・所属分野における社会人博士の価値が欠片もなさそうだったから

  内定をもらった会社が博士号持ちを相当優遇しててこれは勝てると思った.

以上.それぞれについて懇切丁寧に言い訳じみた解説を挟んでも良いが,あまりにも女々しいため簡潔に述べた.上記を読んで異論反論その他社会人自慢をしたい人がいれば,金輪際半径4メートル以内に近寄らないでほしい.辛くなる.いや,やっぱかかってこいや.私は負けない.私は強い子.

そもそもなんでこんなこと書いたかといえば,いろんなやつに合って来年度の話をするたびにおんなじようなことばっか言われるからである.この記事に書いてある内容について二度と質問しないでほしい.何度も聞かれると私も自問自答しだしてせっかくだまくらかしてる精神衛生が悪化するのだ.わかったか.黙って応援するのも優しさなんだよ?

というわけで,今後数年にわたり私は博士課程日記をつける予定である.大した内容がなくともつける.昔読んだなにかの記事ではうつ病抑制には日記が一番だと聞いた.すなわちこのブログは今後数年間に渡る私のスタビライザーでありトランキライザーなのである.まあ大抵の悩みは酒のんで山登ってどっか遠くへ旅行に行けば解決することを知っているので,本当のトランキライザーはそれらにかかる資金なのだが.金くれ.金.来年度からの目標は,社会人に飯をたかりに行くことである.

以上,元気で健気な23歳学生は今日も頑張っています.

 

今日のハイライト

同期「博士用の奨学金の連絡きてるな.まあお前は無理だけど」

自分「は?」

フェローシップに登録している人は受給できない,と言いたかったらしい)